つるつるの手帖

なにかおもしろいことないかなー

小説(男性作家)|2014年に読んだ本

今回の記事は、以前書いていたブログ「鶴の手帖」2014年11月のエントリーを転載したものです。

前回の「2014年に読んだ本|小説(女性作家)」編に続き、昨年読んだ本のまとめです。

2014年に読んだ小説|男性作家編

遠藤周作「海と毒薬」

海と毒薬 (新潮文庫)

海と毒薬 (新潮文庫)

日本人にとって「罪」とは
これは題材も描き方もずしりと響いた。
ネットで読める感想の中には、「戦争というものは強く絶対的な悪であり、それは普通の人間(とその考え方)をも変えてしまうのだ」というような解釈で、本作の主題を読み解いているものもあるが、ぼくは違うと思う。遠藤周作さんも、この小説が一部で「告発」のように受け止められて悩んだ、とある。

遠藤周作という作家の根底には「日本人にとっての『罪』とは」という主題がずっとある。遠藤さんはクリスチャンであるから、根本には普遍的な基督教の教えがある。しかし「罪」の解釈に、日本人、もしくは日本人の持つ曖昧さ、世間体、共同体意識などの、ローカルな概念を持ち込んでいるところが、氏のユニークな点なのである。したがって本作は、戦争そのものへの批判だったり、戦争という特殊な環境で起こった悲劇を書きたかったのではなく、戦争はあくまで主題に導くための背景であり舞台だ。
やはり、著者の他の多くの作品と同じく、日本人の「罪」のきっかけだとか、受け止め方を書きたかったのだと思う。

さて、本作品は今回はじめて読んだ。物語を一度バラバラに解体し、視点を変えたり、時間軸を無視したりして組み立て直した構成が新鮮だった。「どこかに同じような映画があったなぁ」と記憶を辿ってみたら「あぁ、パルプ・フィクションだ」と気付く。
また、白人の子供のマネキンやら中庭を掘り返す老小使のエピソードなど、一見プロットと関係のない描写が示唆的に繰り返されることで、読みながら徐々に不安定な気持ちになっていく。
読者を、作品の核心に導いていくそんな文章上の技術にも唸った。

話がすこし本作から脱線するが、遠藤さんが「罪」を描くときの独自性である「日本人」というキーワードは、西洋人にとっても新鮮に映るようだ。基督教の文化の中で生まれても、それに違和感を持つ層が一定数いる、ってことなのだろう。
いま世界中で、イスラム教に改宗して中東の組織に参加してしまう若者が問題になっているが、彼らの気持ちを読み解くヒントが、遠藤作品にあるような気がするのは、考察を飛躍させ過ぎだろうか。
2014年、マーティン・スコセッシ監督が「沈黙」を撮っているそうです。先のイスラム教へ改宗の話しからも、作品を撮るタイミングとして、タイムリーだと思う。

ちなみに、「沈黙」は、本ブログに長めの感想を書いたことがある(←この記事も、いずれ旧ブログから転載します)

中勘助銀の匙

銀の匙 (岩波文庫)

銀の匙 (岩波文庫)

大人の技術で子供の世界を描く
絵本などを眺めていると、たまに大人の手による「子供が描いた絵」を模したイラストが出てくるが、それは鑑賞者に媚びているようでいて、しかしどこか人を見下している感じがして、見ていて嫌な気分になる。本物の子供の絵にはそんなこと感じないから、やはり子供の純真を演じているつもりの大人の様子には、独特の居心地の悪さがある。

銀の匙」読んでいる最中ずっと考えていたんだけど、これは、大人が書いた子供時代の記録などではなく、間違いなく子供の視点と感情そのものだ。しかも文章の巧みさは大人のそれ。
こんなにすごい文章、初めて読んだ。

志賀直哉小僧の神様 他十篇」

小僧の神様―他十篇 (岩波文庫)

小僧の神様―他十篇 (岩波文庫)

小説の神様
ずいぶんすっきりとした文章だが、何度も書き改め、余分な言葉を削ぎ落とした結果だと思う。
11遍、いずれも甲乙つけがたい。「小僧の神様」「清兵衛と瓢箪」……好きなのを挙げていったら全部になってしまう。登場人物が一旦「こうだ」と感じても、必ず己が心で疑問を投げ返したり、また迷ったり、という内面の葛藤が丁寧に描かれているところが良い。

現代は、どちらかと言えば物事の「Yes/No」や「善/悪」をはっきりさせるべきだ、という風潮だが、実際の我々の心は、決してそんな潔いものではない。本作品では、誰もが日々感じつつもきちんと説明できていない、そんな「心の揺れ」そのものが主題となっている。
さすが「小説の神様」志賀直哉、素晴らしい。

宮本輝「川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

昭和
読みやすい文体で描かれる、ギラギラとした昭和の街と人々の物語、三篇。平成の世を生きる僕の目には、極めて魅力的に映る。
出てくる人々は、皆生活に疲れきっているし、己の境遇に絶望も感じているのだが、たった一つ「未来」にだけは、無邪気で根拠のない期待がある。
それが、経済的に豊かであっても未来に希望を持てない人が多い「平成の現代」とは逆に思えた。
僕の記憶にあるのは、昭和50年代以降だけれども、読んでいてあの時代の色や匂いを思い出した。

三作どれも良いが、「泥の河」が特に好きだ。

梶井基次郎「檸檬・冬の日 他九篇」

檸檬・冬の日―他九篇 (岩波文庫 (31-087-1))

檸檬・冬の日―他九篇 (岩波文庫 (31-087-1))

何といっても「檸檬」
綿密な文体にまず惹かれた。「城のある町にて」などに見られる、温度や匂いが漂うような細やかな風景描写も好きだ。
……しかし如何せん、どの話も、病からくる憂鬱さが全編を支配していて、読んでいて気が滅入る。もし彼が生き延びて、「のんきな患者」のような視点で、本当に面白おかしいテーマについて書けたのなら、どんなだっただろう。

有名な表題作「檸檬」は素晴らしい。僕が好きな「人間のちょっとした心の動き」をとらえた小説だからだろう。

ジャン・コクトー恐るべき子供たち

恐るべき子供たち (岩波文庫)

恐るべき子供たち (岩波文庫)

子供の残酷さ
読み進めるうちに、自分の中に、エリザベートとポールを見つけた。わたしは総じて常識的な人間であり、ジェラールとアガートの立場である、と思いながら読み進めていたはずなのに。
クライマックスにおけるエリザベートの行動、他者に対する恐るべき仕打ちは、意識的というよりも、なぜだか僕には必然のように思えた。
……ほかにもうひとつ、子供時代にできていた夢の中に翔ぶ遊びが、大人になるにつれ出来なくなっていったことを、読んでいて思い出した。

島崎藤村「破戒」

破戒 (新潮文庫)

破戒 (新潮文庫)

いつの時代も若者は悩むのだ
父の戒めを破って生徒の前で告白する場面は、思わず泣いてしまった。告白に至る主人公の苦悩を読み進めるのは苦しかったが、終盤の展開は清々しく、周りの人々の優しさに救われた。

この作品は、どうしても部落問題に絡めて語られてしまうが、自覚的にしろ無自覚にしろ、何かしらの「戒め」は、誰もが大小持ち合わせている。
主人公が「破戒」に至った心の葛藤は、すべての人にとっても思いあたるところがあるのではないか。悩みの深さを比較できるものではないが、私もまた、若い頃ありとあらゆることに悩んだ自分に重ねて読んだ。

スタインベック怒りの葡萄

怒りの葡萄 (上巻) (新潮文庫)

怒りの葡萄 (上巻) (新潮文庫)

怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)

怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)

これは後のエントリーで「基督(キリスト)教」をテーマに、数冊を取り上げようと思っているので、感想はそちらで書こうと思う。


次回は、「エッセイ」編を書きます。