つるつるの手帖

なにかおもしろいことないかなー

エッセイ|2014年に読んだ本

今回の記事は、以前書いていたブログ「鶴の手帖」2014年11月のエントリーを転載したものです。

エッセイとは、つまるところ……?

「エッセイ」……今年ぼくが最も意欲的に、良い本を追い求めたジャンルだ。

しかし、ぼくの中ではエッセイと小説との境界がいくぶん曖昧だ。中には、エッセイのような小説があるからだ。
例えば志賀直哉に「城の崎にて」という有名な短編がある。先日読み終えたばかりの作品だが、これなど、怪我をして療養中の自分の心境を、たまたま目にした自然の姿に重ねて書いた文章だから、今ならさしずめエッセイの括りに入るだろう。しかし、一般的にこれは「小説」に分類されているようだ。

また、エッセイを読んでいて、こんなことに気がついた。巧みな書き手の作品は、さらりとある日の出来事を書き流したようでいて、書き手のものの見方や感じ方、はたまた善悪の線引やら趣味嗜好までが至る所に隠されている。
作者の人となりがあらわれたそんな一文に出くわすと、ついアタマが他に飛んでしまい、そこで考えこんでしまう。ふむふむ、ぼくもおなじだなぁ、などど反芻しながら読んでいると、実は「さらり」どころか、エッセイほど恐ろしく思えるジャンルはないことに気付くのである。行間にまで書き手の生理が宿っているようで、生々しすぎるのだ。

つまるところエッセイとは、良くも悪くも、書いたその人そのもの。人間に興味があるぼくにとって、良いエッセイに出逢うということは、そのまま素敵な人との出逢いであるとも言える。

そうして素敵な人との出逢いを追い求め、今年は「エッセイの名手」と呼ばれている作家をいくつか読んでみた。なるほど、いずれも個性的で素晴らしかった。

ぼくら読者は、文章を読むことで作者の心境を追体験しているわけだが、不思議なことにそうやって、他人の心を一度通過させて世界を眺めることで、その向こう側に、気付かなかった自分自身を発見するのである。
これが、エッセイを読むいちばんの醍醐味だと思う。

向田邦子「父の詫び状」

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

父の詫び状 <新装版> (文春文庫)

エッセイの傑作
「エッセイの傑作」と呼ばれている向田邦子さんの本書。まず、人間を観察する鋭さにのけぞる。文章の言い回しは隅々にまで気が配られており、情景が浮かんでくるようで、それもいいなぁ、と思う。……しかしその次には突然、まったく脈略のない話があらわれたりして、やや戸惑う。戸惑いながらも展開の面白さに押し切られ、そのまま読み進めると、最後にその全部をひとまとめにする「オチ」がちゃんとある。あぁ章のタイトルはこれをあらわしていたのか、と驚く。こういうエッセイが書けたら素晴らしい、というお手本のような文章。

沢木耕太郎さんのあとがきも必読。向田さんの亡くなられた事故を聞いた当時の様子が書かれていて、切なくなる。

……しかし、妻の顔色を伺って慎ましく生きる平成のお父さん(つまりぼく)にとっては、向田さんのお父さんの世代の生き方は、ただただ羨ましい。オトコとはこうあるべきだ、と、つよく心の中「だけ」で思いながら本を閉じた。

沢村貞子「老いの楽しみ」

老いの楽しみ (ちくま文庫)

老いの楽しみ (ちくま文庫)

心からふとこぼれたような文章
沢村貞子さんの文章が好きだ。文章を書くことに興味を持ったきっかけのうちのひとり。気負いも衒いもない言葉たちが並ぶさまは、読んでいて非常に心地よい。
沢村さんの数ある文章の中から本書を手にとったのは、近頃の自分が、加齢を自覚することが多くなったことと無関係ではない。

巻末の河合隼雄さんとの対談がまた良かった。宇宙飛行士は宇宙空間においてたったひとりであるから、自分の内側と話す時間が増え、そのため自身の身体の調子がよく分かる、って話しがおもしろかった。それがなぜか、地上に戻ってくると他人の声のほうがが大きくなって、自分の中の声が聴こえなくなるんだと。SNS疲れ気味の現代人にはなんとも示唆的だ。

高峰秀子「まいまいつぶろ」

まいまいつぶろ

まいまいつぶろ

若き日の高峰さん
若き日の自伝的エッセイ。内容も文体も、後々のものの方が巧みではあるが、若き日の本書も、これはこれで真っ直ぐで良い。人間観察の細やかさは確かに高峰さんの文だ。
成瀬巳喜男監督と木下恵介監督の人物像が興味深い。「二十四の瞳」撮影当時の生々しい感想が読めたのも面白かった。

森茉莉「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル (ちくま文庫)

ベスト・オブ・ドッキリチャンネル (ちくま文庫)

悪口はこう書くべし
インターネットの世界には、一見柔らかな口調で、安全な場所から自らを擁護しつつ、人を攻撃するような、悪意に満ちた批評モドキがまかり通ってるが、モリマリさんの文章はこうしたあざとい文章の対極にある。
名指しでけなす、手加減せず更にやり込める。正面から森茉莉の署名入りで。
だけども、なぜか笑っちゃってイヤな気分にはならないんだよなぁ。

佐藤優「先生と私」

先生と私

先生と私

まさに先生と私の記録
佐藤優、希望に満ちた少年の日の記録。読み終わって、とても清々しい気持ちになった。多少の脚色はあったとしても、小中学生時代の、ごく当たり前の日常を鮮明に再現できる筆者の記憶力にもびっくりした。
さらに、佐藤少年を導いてくれた先生たちの素晴らしいこと!!
自らが持つ知識や考え方を、次の世代に惜しげも無く与えるその姿勢に、目下、子どもたちに接する自分を重ねて、この先生方のようでありたい、と思った。

サン・テグジュペリ「人間の土地」

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

孤独な飛行機乗り
池波正太郎のエッセイに本書のタイトルを見つけ、手に取る。
サン・テグジュペリが路線パイロットだった1920年代、飛行機は今よりもずっと危険な乗り物だった。安全を支援するシステムもなく、まさに彼らは命を懸けて飛んでいた。先輩のギヨメが雪山から生還する部分は何度読んでも泣ける。命を懸けていた者たちの言葉に圧倒される。

表紙は宮崎駿。巻末にある、宮崎氏の書いた「空のいけにえ」という文章を読んで、監督が飛行機と戦争をどう見ているのかを知った。

堀口大學の訳文は、今となっては多少古さを感じさせるが、清潔で背筋が伸びるような文章だ。

また、本書「人間の土地」に関しては、以前ブログにまとまった感想を書いたので、こちらも近いうちに本ブログに転載する。

エッセイが大好き

これからも、積極的にエッセイを読んでいこうと思う。
現実の世界で出会った、かけがえのない人との出逢いが、今思い出せば案外ドラマチックではなかったように、かけがえのないエッセイとの出会いもまた、書店でなにげなく手にとった一冊からはじまるような気がしてる。