つるつるの手帖

なにかおもしろいことないかなー

ノンフィクション・ルポ|2014年に読んだ本

今回の記事は、以前書いていたブログ「鶴の手帖」2014年12月のエントリーを転載したものです。

ノンフィクションは、裏側を知るとさらに面白い

ノンフィクションと言えば、野村進さんの「調べる技術・書く技術」という本が素晴らしかったので、ちょうど一年ほど前にまとまった感想を書いた(近いうちにこのブログに転載します)


調べる技術・書く技術|野村進 - (旧)鶴の手帖

創作の裏側がのぞけたことで、昔から好きだった「ノンフィクション」というジャンルにさらに興味を持つ。しかし同時に、読んでいない有名な本が数多くあることを知ったので、「調べる技術・書く技術」の中にあったオススメ作品を参考に、今年はそのいくつかを手に取った。


ノンフィクション=事実の記録。しかし小学生の作文のように、ただ起こった出来事を経験した順に並べてみても、ドラマとして面白くはならないだろう。時間を入れ替えたり、巧みな比喩で現場の感触を伝えたり、あえて遠いところにある題材と比較してみたりと、その書き手「だからこそ」書ける部分、自分だけの要素をどのくらい盛り込めるかが肝心だ。

野村さんの「調べる技術・書く技術」を読んでみると、実際のノンフィクション作家が、ごくごく小さな事柄にまで注意を払いつつ文章を綴っているのかがよく分かる。
入念な準備を経て、読み手がつい引き込まれるような導入部が書けたとき、現実と創作が密接に入り組んだ「ノンフィクション」が、はじめて独自の作品として動き出すのだ。


思い返せば、若いころ夢中になって読んだ「スローカーブを、もう一球」にも、江夏の心の声が文章の中枢にあったような気がする。「ずいぶんきちんと記録されてるなぁ。しかし、江夏って意外と色んなこと考えてるんだなぁ」なんて思っていたが、あれは事実の羅列なのではなく、山際さんの作品だったのだ。当時のぼくは、それに気づかないまま夢中になっていたわけだ。

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))

スローカーブを、もう一球」……20年ほど前に読んだきりなので、ちょっと違っていたかも知れない。近いうちに読んでみよう。


では、今年読んだ作品から、印象に残ったものをいくつか。

ノンフィクション・ルポルタージュ

辺見庸「もの食う人々」

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

土地+食=人
ある土地の文化や記憶と直接結びつく「食べる」という行為は、まさにその人そのものを表している。旅をし、土地の人間と同じものを食べることで、筆者は彼らの内側に入っていく。「恵まれた土地:日本」しか知らないぼくは、世界に生きる人々に、ただただ驚いた。
辺見さんの文章はリズムが心地よいので、すらすらと読み進められるのだが、読みやすい理由は文章が巧いだけではない。意見に無理がなく、押し付けがましくないのだ。「こうあるべき」といった強い提言は見当たらず、あくまで個人としての感情が書かれる。
中には残酷な現実を綴っている部分もあるのだ。しかしどのエピソードにしても、読んでいてなぜか根底に希望とかユーモアがあり、辺見さんの気持ちを身近に感じてしまう。根が優しい人なのだろう。

有名な本だというが、ぼくは初めて読んだ。もっと早く読んでおけばよかったと思った。辺見さんの感じ方に間違いなく影響された。

沢木耕太郎「人の砂漠」

人の砂漠 (新潮文庫)

人の砂漠 (新潮文庫)

砂漠に立ち尽くす人と、側でじっと見ている人
のほほんと毎日を過ごすぼくには、ガツンとくる話しばかりだ。登場人物は皆、過酷な現実に向き合って(またはそこから逃げようともがいて)いて、救いがなく、未来も閉ざされているように思えて、思わず目を背けたくなる。
しかし読み終わると、僕の身体は充実感に満たされていた。ありきたりだが「感動した」という表現がぴったりだと思う。描かれる彼(彼女)らは、それぞれの真実を追い求めてる。たとえその真実が、世間の眼にはいびつに歪んで常識外れなものに見えたとしても。本人はただ自分が思い描く真実を追い求めているだけなんだ。人間の本質がむき出しになったような、その一生懸命さが胸を打つ。

生々しい文体でこれを書き上げた20代の沢木さんにも「感動した」

沢木耕太郎深夜特急〈1〉香港・マカオ編」

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

世界に出る
うわっ!ぼくは単純だから、これを25歳くらいのときに読んでいたら、リュックサック背負って後先を考えずに飛び出してただろうな。読みはじめから興奮するが、後半のマカオでの出来事が最高!カジノで「大小」というギャンブルに、ずぶずぶとのめり込む。しかし流石、頭の片方では冷静に客とディーラーを観察して「にわか必勝法」を得る。話の進め方がとにかく巧すぎて、読み終わってもしばらくは、早くなった鼓動が収まらなかった。

鎌田慧自動車絶望工場

新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)

新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)

現場に飛び込んで書く
実際にその現場に飛び込み、書かれたルポルタージュ。約40年ほど前、トヨタ自動車期間工としての工場労働の記録。実際の仕事のキツさと合わせて、現場での人としての扱いが苛酷なことにスポットが当てられている。
うーん、(トヨタではないが)ぼくも企業城下町に住んでいるだけに、なんとなく言いたいことは分かるなぁ。現在の現場環境はずいぶんとマシになっていると思うが、単純作業における苛酷さの本質は変わっていないとも言える。キツい現場に従事する労働者が、出稼ぎ人から外国人に変わっただけであって。
ただ作品としては、主に労働者の立場からしか事実が書かれていないところが気になった。例えば経営者側の視点、なぜ労働者にその苛酷な扱いを強いるのか、そもそも苛酷だと思っているのか、などが掘り下げられていたら、告発もより豊かな意見になったと思う。視点がひとつだと、ただの愚痴に見えてしまう。

リエット・アン・ジェイコブズ「ある奴隷少女に起こった出来事」

ある奴隷少女に起こった出来事

ある奴隷少女に起こった出来事

奴隷制度の生々しい記録
深く心に刻まれた。多くの人に読んで欲しい。主人公が辿った運命があまりに衝撃的であるため、文章の存在は知られていたものの、本書はずっとフィクションだと考えられていたという。長い間忘れられていたが、近年になって作者が実在した本物の奴隷だったことがわかり、ひろく読まれるようになったそうだ。
作者はとても頭が良い人だったのだろう。現代のようなレベルでの教育は受けられなかったはずだが、とても美しい文章だ。文章が美しいだけに、彼女が受けた残酷な扱いが、より生々しく伝わってくる。
……うーむ、奴隷所有者の気持ちがまったく分からなくて考えこんでしまう。彼らにとって、キリスト教の教えは何の意味も持たなかったのだろうか?奴隷を人間と見なしておらず、自らの行動を省みる対象としていなかったからか?その言動には、罪を背負っている自覚がまったく無いように見える。

また、この本は訳がいいと思う。あとがきにあったが、現代日本の置かれた状況を本書の内容と重ね合わせた視点が良い。本文にもそのテイストがほのかに感じられる。

ハウス加賀谷統合失調症がやってきた」

統合失調症がやってきた

統合失調症がやってきた

芸人、ハウス加賀谷
なにかで紹介されているのを見て、前から読みたいと思っていた、統合失調症になった芸人ハウス加賀谷さんの闘病記。ハウス加賀谷さん、真面目な人なんだなぁ。「もっと力ぬけよ……」って、つい声をかけたくなる。読ませる内容で一気に読んだが、最後に相方の松本キックさんの優しさにホロっとした。加賀谷さんが主役の本だが、まとめた松本さんの文章力、構成力はなかなかのものではないか。
そう言えばこの前テレビでちらっと加賀谷さんを見たなぁ。回復されたんだろうか……。

最後に

ノンフィクション。なにより作品の量が多いし、名作も数多いジャンルだ。これからも読むものに困ることはないだろう。カポーティ冷血 (新潮文庫)にも挑戦してみたい。