つるつるの手帖

なにかおもしろいことないかなー

Steve Jobs Ⅰ & Ⅱ|ウォルター・アイザックソン

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スティーブ・ジョブズ I
スティーブ・ジョブズ II
※ 今回のエントリーは、以前書いていた「鶴の手帖」というブログの2013年9月16日の内容に、若干の修正を加えて転載した記事となります。

はじめに

ジョブズの伝記を読んだ感想です。かなり長文になってしまいました。

途中、関連する動画などもいくつか挟んでいます。
ちょっと興味があるから読んでやろう、と思われた方は、お時間のあるときにでも改めてコンピュータの前に座り直し、お好きな飲み物でも用意して読み始めてみてください。

2013年9月10日、新しいiPhone「5s」と「5c」の2種類が発表されました(今回の記事は、2013年9月16日に書いたエントリーの再掲載記事であるため、古い情報ですみません)
最近のAppleの新製品は、事前にネットで写真や情報が出回ってしまうため、特に驚きはありませんでしたが、なんだか肩透かしを食らった印象は否めません。
そのあたりのニュースにも絡めて、次のエントリーでもスティーブ・ジョブズについて書きました。iPhoneに感じたモヤモヤについても、次の記事の最後のほうで触れてみました。

ジョブズの公式伝記

20年ほど前からのMacintoshユーザー、アップル製品のファンです。
先日、ウォルター・アイザックソンの「Steve Jobs Ⅰ&Ⅱ」を読み終えました。ぼくには、旬の話題には素直に乗りきれない「へそ曲がり」なところがあるので、2年前ジョブズが亡くなったとき、あの熱狂の余韻の中で、本書を読む気にはなれませんでした。しかし、時間が経ったからか気分も落ち着き、新しいiPhoneが発表されたこのタイミングに導かれるように、今回この公式の伝記を手に取ったわけです。

読み進めるに従い、新製品発表のプレゼンテーションを待ち望んだ当時の気分が思い出されます。散々語られ尽くした感のあるエピソードも、別の切り口から書かれていたりしてなかなか楽しめました。
ただ下巻の後半、病に弱っていく描写は読むのがとても辛かったので、その部分は噛みしめるようにゆっくりと進めました。

読み終わったとき、次のふたつが印象に残りました。

  • シンプルであること(上巻 第12章「デザイン|真のアーティストはシンプルに」より)
  • 旅こそが報い(上巻 第13章「マックの開発力|旅こそが報い」より)

このふたつについて、私がMacと出会ったころの個人的な経験なども織り交ぜつつ、考えたことを書いてみます。「現実歪曲空間」の話しなどは、他の文章にも多く書かれていると思うので、今回は割愛。

また、ジョブズが唯一iPadに入れていたという「あるヨギの自叙伝」も続けて読んでみたので、次のエントリーでは、そこからジョブズが何を読み取っていたのかも、考えてみます。

Macintoshとの出会い

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写真:Macintosh ColorClassicⅡ

ぼくとMacの出会い。
初めて触ったのは、20歳のころアルバイトしていたデザイン事務所のMac。確かⅡciで、1992年のことでした。
その後、初めて自分で買ったMacintoshは、カラークラシックⅡ(上記写真)です。これはたぶん1994年。その頃すでにのAppleジョブズは居ませんでしたが、手に入れたこのマシンには、まだ辛うじてコンパクト、単体で完結していた時代のMacの香りが残っていました。

キーボード上の電源スイッチを押すと、「ポーン」という起動音に続いて、画面に「ハッピーマック」が現れる……はじめて電源を入れたときの興奮を、昨日のことのように思い出します。興奮なんて大げさに聞こえますが、アップル製品に触れたことのある人になら、伝わるんじゃないのかな。ついでに、初めてサッドマックを見た時の戦慄も思い出しました!また、物理的なスイッチではなく画面の中のメニューから電源を切る、ってのにも、最初ものすごく驚きました。
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しかし、後に発売されたWindows95に触れた時には、全くこういう興奮は感じませんでした。あたかも現実と画面の中とを行き来しているかのような不思議な感覚は、ハードウェアとソフトウェアが対になって提供されている製品だからこそ、味わえるものです。

この「興奮」を人々に届けることこそAppleの任務なのだ、という使命感が、ジョブズには非常に強かったのでしょう。伝記には、これでもかと製品の仕様にこだわる彼の様子が描かれています。

この感覚は、未だにApple特有の体験です。今回発表されたiPhone5c、プラスチックの筐体を持つこのiPhoneを説明する映像の中で、デザイナーのジョナサン・アイブが、このハードウェアとソフトウェアの調和について語っていました。(2015年3月現在、この動画は見つかりませんでした)

シンプルであること

伝記前半には、若いころのジョブズはとにかく臭かった、と何度も書かれています。完全な菜食主義者は、シャワーやデオドラント製品を使わなくても身体は臭わないはずだ、との信念によるものだとか。もちろん現実には臭うわけですが、自分が必要ないと思うことは一切しない。ここにジョブズ流の考え方、絞りこまれたシンプルさが垣間見えます。
シャワーを浴びなかったり、デオドラント製品を使わなかった真の理由は本書には書かれていませんでしたが、当時のジョブズには、日常生活をシンプルにしたい、選択肢を減らしたい、との想いがあったのではないでしょうか。

我々の日常生活は思っているよりも意外と複雑にできていて、置かれた場面場面で様々な選択を迫られます。レストランのメニュー、テレビのチャンネル、どこかに遊びに行く場合だって、いくつもの候補の中から選ぶはずです。
置かれた状況に応じて好きなものが選べるわけですから、それらは一見、手放しで素晴らしいことのように思えます。しかし選択が増えるということは、どれにしようか判断するアクションが一つ増えることでもあります。また選んだ後も、その判断が正しかったのか思い悩むことになる。
選択の自由とは、時にこういう窮屈さを生み出すことにもなります。

数ある中から特定のデオドラント製品を選ぶというアクションを切り捨てるためには、菜食主義を貫いて臭い自体が発生しないようにすればよい、というわけです。加えて、忙しい若者にとっては、毎日決まった時間にシャワーを浴びることも煩わしいものです。
言ってみれば、わがままな人間の勝手な解釈ではあるのですが、ジョブズの場合おもしろいのは、自分が作り上げたこの完璧な信念の前では、実際に身体が臭うかどうかなどは、まったく問題にならないということです。

アップル製品におけるシンプルさは時にやり過ぎにも思えますが、それらは全てこうしたジョブズ自身の信念から生み出されたのだと思います。伝記にも、AppleⅡの拡張性を切り捨てようとするジョブズと、必要だと主張するウォズニアックとの対立が書かれています。
マウスのボタンはひとつにする、キーボードに矢印キーを設けない……等々。
また、復帰後に製品ラインを絞り込んだのも、iPodからON-OFFスイッチを省いたのも、iPodshuffleで曲を選べないようにしたのも、iPhoneの電池を取り外し出来ない仕様にしたのも、すべてこのシンプルさを追い求めることが原点なのだと思います。

くわえて、ジョブズの言う「シンプルである」という意味をもう少し掘り下げてみると、それはただ単に簡単、単純にするということだけでもない。
これは「デザイン」という言葉の定義でもあるのですが、目の前にあることの本質を見極め、装飾的な部分はすべて切り捨て、これだけは絶対に外せないという最小限の要素のみで、物事を再構築するという行為すべてを指しているのです。

つまりシンプルさの追求とは、創造、造形のプロセスである以前に「これは何か?何のためにあるのか?」という、長い時間をかけた哲学的な思考の成果であるわけです。

Pixarトイ・ストーリー

本質を追求することに関して、伝記にも面白いエピソードが書かれていました。ジョブズが作ったもう一つの企業、Pixarが手がけた最初の長編アニメーション『トイ・ストーリー』についてです。引用します。

モノが感情を持つなら、その本質を全うしたいという想いが基本にあるはずだ。たとえばグラスの目的は「水を保持する」こと。だから、水がいっぱい入っていれば幸せだし、空なら悲しくなるはずだ(中略)そしておもちゃの場合、その目的は子どもに遊んでもらうことであり、彼らがもっとも恐れるのは捨てられたり、新しいおもちゃに取って代わられたりすることだ。- 上巻 第21章 (p.434-435)

これまでにも、おもちゃを主人公にした物語は沢山あったと思いますが、おもちゃ側の立場に立って、自身の存在意義を物語の原点に据えたファンタジーなど、それまでにあったでしょうか?
トイ・ストーリーが面白いのは、ひとつに、おもちゃが持つ目的を物語の軸にしたことにあったと思います。
これもまた、物事の本質を見極めることを目的とした、ジョブズらしい仕事だと思います。

Apple製品が持つ「シンプルさ」の移り変わり

また、ジョブズ復帰直後のAppleの製品を現代の視点で見返すと、シンプルではあるけれど、今のシンプルさとは目的がちょっと違っていた気がします。まだ一般的に身近なものとは言えなかったコンピュータを、まずは一般のユーザーに使ってもらうための工夫が随所に見られます。
つまり初めてコンピュータを手にした利用者に対する動機づけ、啓蒙的な役割を、色や形に持たせていたと思うのです。

ジョブズ復帰直後の製品と言えば、例えばiMac。伝記には、デザイナー、ジョナサン・アイブが、iMacの上部にハンドルを取り付けることを提案した際の考え方が書かれています。

あのころ、ふつうの人にとってはテクノロジーはちょっと怖いものでした。怖いと思えば触ろうとしないのが当たり前です(中略)それならハンドルをつけたらどうだろうか―そう思ったわけです。そうすれば、人間との関係が結べる製品になるのではないか。直感的にわかって親しみやすい。触っていいんだよと語りかけるものになる。人の意思に従う姿勢が感じられる存在になるわけです。- 下巻 第26章 (p.105)

また、このハンドルについては、当時ジョナサン・アイブに直接インタビューをされた藤崎圭一郎さんのブログ「ココカラハジマル」に、詳しい説明があります。iMacのハンドルのように、デザインの力で人を誘導する試みについて書かれた部分を、少し引用させていただきます。

建築ではこうした手法は古くから常套手段である。たとえば、階段やスロープ。それは登り降りするためだけの設備ではない。階段は動線上の次の空間へ人を誘っている。窓も単に採光や換気のための設備ではない。人の視線を外部や内部に誘う仕掛けでもある。
茶室へ至る飛び石は、人を茶室の方向へ誘うだけでなく、一定の歩幅で歩くことを強いることで、主人の歩くリズムと客人のそれを同調させる装置となっている。

デザイン=物事の本質をあらわにする行為には、本来このようなパワーが秘められています。
しかし、一般的な議論の中で「デザインする」という行為が取り上げられる場合、未だに装飾的、アーティスティックな意味でしかデザインが話題にならないことを残念に思います。
変わっているだけのもの、奇抜なものは、ただそれだけあっても、決して「デザインが優れている」とは呼べないのです。

……時代は移り、テクノロジーに対する人々の恐れも、段々と和らぎました。
過去から順に、現代までのApple製品を辿ってくると、シンプルにする、モノの本質を追求する、という側面がだんだんと強くなり、ユーザーを導こうとする作り手側の主義主張は、逆に削られていったように見えます。コンピュータという製品が、以前よりも我々の日常で身近なモノになったことで、まずは使ってもらうという時代が終わり、「それを使って何をするのか」という本来の目的を、より深く掘り下げて提供できるようになったためでしょう。

旅こそが報い

有名な、スタンフォード大学卒業式でのジョブズのスピーチを聴いてみると、ジョブズの意識が日常どの部分に向いていたのかが見えてきます。
あわせて、こちらもジョブズの人となりが垣間見える内容だと思いますので、ジョブズが亡くなった後の、ジョナサン・アイブによる追悼のスピーチも紹介します。


スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版 - YouTube


ジョナサン・アイブのジョブズ追悼スピーチ【字幕付き】/Tribute to Steve Jobs - YouTube

これらのスピーチや伝記に書かれた様々な言動からも分かるように、ジョブズは、妥協の無い最高の製品を作ることを、仕事の目的としていました。
反面、自身の生き方においては、結果を追い求めることよりも、そこに行くまでの過程そのものを楽しんでいたように見えます。

結果的にジョブズは人生の早い段階でお金持ちになったため、メルセデスの2シーターやBMWのバイクにも乗っていたそうですが、それ以外の好みは極めて質素だったとされています。言動を追ってみても、金銭や名声を目的としていた印象は受けません。

没後、自宅に泥棒が入ったニュースがありましたが、確か大変地味な外観の建物だったように記憶しています。また伝記を読む限り、前半10-20代前半の貧乏な時代も、行動の動機に、目的としての金銭はなかったようです。先のスタンフォード大学のスピーチの中でも、教会に食べ物をもらいに行っていた当時を「そんな日々がたまらなく好きだった」と言っています。これが、ジョブズなのでしょう。

対して我々は結果に意識が向きがちですが、やっぱりジョブズと同じく、振り返ってみればプロセスこそが一番楽しかったという経験を、誰もが持っているはずです。間近の旅行を思い出してみても、一番楽しかったのは、計画を立てているときと、行きの道中ではありませんでしたか?
まさにこれが「旅こそが報い」という意味であり、途中の経験や苦労こそ、改めて噛みしめたり楽しんだりする価値があることなのです。

「旅こそが報い」という言葉について書かれた部分を、伝記から引用します。当時、Macの開発チームを率いていたジョブズが好んでいた言葉だそうです。

次は禅の公案のような一言、「旅こそが報い」だった。マックチームというのは至高の任務を与えられた特任部隊なのだとジョブズはよく語っていた。いつの日かふり返れば、つらかったことなど忘れてしまうか笑い飛ばすかして、人生最高の日々だった、魔法のような日々だったと思う―。-上巻 第13章 (p.231)

伝記上巻のクライマックスは、やはりMacintoshの開発です。最高のメンバーで構成されたMacの開発部隊は、屋上に海賊旗を掲げていたとか。
これは、反骨精神を胸に最高の製品を作ることを目的とし、さらに日々を楽しむことにも意識をフォーカスさせた、他に類を見ないほど創造的なチームの記録です。

ジョブズ追放とApple復帰

Macintosh開発の後、ジョブズは自らが作ったAppleを追われます。彼の独善的な言動が周囲との軋轢を生み出したからです。
しかしその後のAppleは混迷して、かつての革新的なイメージは徐々に薄れていきました。私がMacと出会ったのはちょうどこの時期です。当時、業界で力を失っていく姿が、私にも見て取れました。MacOSを他社にライセンスした互換機が発売された時には、心から残念に思ったものです。


そんな中、1996年にジョブズが復帰します。
Appleに戻ったあと発表された新製品はどれも話題になりましたが、その快進撃を見ていた当時、ジョブズは昔とは変わってずいぶん丸くなったようだとの見方もありました。しかし今回、伝記下巻を読んでみると、どうやらそうでもなかったようですね。
ただ、私の言葉では上手く表現できないですが、確かに変わった部分もあったのでしょう。ジョブズのスピーチでも触れられていますが、彼は失敗から学んだのです。
これは、他の成功者へのインタビューからもよく聞く意見ですが、失敗を回避するのではなく、失敗から学ぶことこそ、物事を前に進める唯一の道なのでしょう。

→ 次のエントリーは、ジョブズの愛読書「あるヨギの自叙伝」を取り上げて、彼がなぜこの本を繰り返し読んだのかを考えてみます。

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ I

スティーブ・ジョブズ II

スティーブ・ジョブズ II

*1:のちに電源スイッチを押すと、電源オフを含めた動作を選択するダイアログが出るようになったが、この頃はまだスイッチを押しても何も出なかったと思う