つるつるの手帖

なにかおもしろいことないかなー

映画・映像制作|2014年に読んだ本

はじめに

昨年から、ちょっとした映像作品を作りをはじめた。
……とは言っても、たかだかおっさんの暇つぶし。出来は自らそれほど気にかけないつもりだったのだが、始めてみればこれが意外なほどおもしろく、うまく作りたい下心も芽生えてきたので、すこしずつ機材を揃えているところである。

映像制作がおもしろいのは、心に従う感覚的な要素と、理性でコントロールする身体的な要素を、行きつ戻りつ作っていくところだ。心で感じて決める……頭で考えて手を動かす……(以下、くりかえし)
これは素材作りの撮影の段階にも言えるし、仕上げの編集でも言える。映画を制作している人たちにしてみれば昔からわかりきったことなのだろうが、この感覚が素人でも味わえるなんて、技術の進歩に感謝したい気持ちだ。

心と理性。
映像作品はすべて、作り手の意図によって必ずそのどちらかが強めに出ていると思う。しかし時代を越えて残るような名作は、どちらかが強めに出てはいても、必ず反対側でもう一方の要素が全体を支えている。
例えば小津安二郎監督の映画は、画面の構図や俳優の言動、そのすべてが監督によって統制され、理性的な側面が強く出ているように思える作品であるが、物語から受ける印象と全体を貫くテーマは、情緒的で人間臭い。
転じて「男はつらいよ」は、表向きは下町を描いたただの娯楽作品だが、寅さんのキャラクター設定や、計画的なアナクロ主義とマンネリズムには、山田洋次の批判精神と緻密な計算が見え隠れする。

感覚に頼りきってしまえば、出来上がるものはひとりよがりのポエムのようになってしまうし、機材や技術に傾倒しすぎると、高級な機材を持ち歩いているのに肝心の作品はまったく面白味のないアマチュア写真家のようになってしまう。要は両者のバランスが大切なのだ。

心と理性は、感情と技術と言い換えても良い。
この両方を学びたくて、昨年は映画・映像について書かれた本を読んだ。「映画を観ること」「映像作品を作ること」「作り手側の視点」この3つの項目に分けて、感想を書く。

映画を観ること

映画を観ることは好きだが、それほど多くの映画を観ている訳ではない。面白いと評判の作品をいざ観始めても、作品を裏付ける前提が分かっていないため理解が回らず、期待したよりも楽しめないこともある。また、制作上の意図や技術を解説してもらえると、物語を追いかけて映画を観るときとは違った楽しみ方ができる。
そんな、映画を多角的に解説してくれる本があると助かるのだ。

ちなみにここで紹介する2冊を読んで、昨年、以下の映画をあらためて観てみた。

イージー★ライダー コレクターズ・エディション [DVD]
チャイナタウン 製作25周年記念版 [DVD]
フレンチ・コネクション [DVD]
麦秋 [DVD]
第3作 男はつらいよ フーテンの寅 HDリマスター版 [DVD]
2001年宇宙の旅 [DVD]
ロリータ [DVD]
バリーリンドン [DVD]

いずれも10〜20年ぶりに観直して、内容は忘れかけているものばかりだ。
解説を読んだことで、ぼくの理解が深まったかどうかは微妙だが、少なくとも筋書きを追っているだけの見方よりも楽しめたことは事実だ。

子供たちがまだ小さいこともあり、普段の生活で、ゆっくりと映画を観る時間をひねり出すことはことのほか難しいが、たとえ年間数本だとしても、いい映画にふれる機会をできるだけ作りたいと思う。

塩田明彦「映画術 その演出はなぜ心をつかむのか」

作り手の意識は、どこにフォーカスしているのか
男はつらいよ」の分析に膝を打つ。今までに読んだ、どんな寅さん評よりも腑に落ちた。「カサヴェテス病」にも笑ってしまった。現代のテレビドラマは、ほとんど全部がこれではないか。泣く物語として書かれ、宣伝され、泣く場面では演者も観客も皆が泣く……。感情をまき散らした俳優の演技には、いつも「ここで泣け!」「笑え!」と説得されている気分。人間の感情ってそんなに画一的かね?というモヤモヤがずっとあったが、「行動」と「感情」を対比させた本書「第7回」で、それが完璧に解説されていた。映画を観ながら、何べんでも読み返したくなった。

町山智浩「映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで」

時代の中の映画。映画の中の時代。
その時代を生きていなければ解らない肌感覚がある。60年代の若者が持つ「ドラッグ」に対する考え方は、現代のそれとは大きく違う。本書で取り上げられる「原発」「暴力」「異星人」「孤独」いずれにおいても、現代の解釈だけで映画を観てしまっては片手落ちだ。
そうした時代ならではの空気を紹介しながら映画の成り立ちを解説してくれる本書は、作品の背景を知るための恰好の手引となる。
知識を得たことで、以前はボンヤリとしたメッセージしか受け取れなかった数々の映画から、改めて何を受け取ることができるのか、自分に期待している。

映像作品を作ること

以下は、主に技術寄りの具体的な参考書である。機材の選択と使い方、制作上のセオリー、予算やスタッフの管理等含め、全体のマネジメントなどが解説されている。どれも、一度は目を通しておくべき内容。

最後に挙げた「シド・フィールドの脚本術」は、いずれ脚本や絵コンテから制作をはじめるときのために。

一人でもできる映画の撮り方

一人でもできる映画の撮り方

マスターショット100 低予算映画を大作に変える撮影術

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  • 作者: クリストファー・ケンワーシー,吉田俊太郎
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2011/05/26
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素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック シド・フィールドの脚本術2

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作り手側の視点

映画の見方を学び、撮影や編集のテクニックを覚える。……撮りはじめる前は、これらふたつについて学べば、実際の撮影で迷うことはないと思っていたのだが、実際に始めてみると、じつは最も参考になったのは、作り手の人間自身について書かれた本だった。中には作家自身の手で書かれたものもあるので、それを読めば作り手の視点が一番良くわかる。

想田和弘「なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか」

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)

なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)

ドキュメンタリーは、本当に「筋書きのないドラマ」だった
映像作家の心境が丁寧に綴られていて、完成までの道のりを追体験できる。途中では「ここの感じ方はちょっと違うと思うなぁ」なんて、生意気にもいくらか分析的に読んでいたのだけど、本の終わりが近づくにつれ映画の完成とその内容の描写に興奮してきて、オイラの浅はかな分析なんて何処かに吹っ飛んだ。

小栗康平「映画を見る眼」

映画を見る眼

映画を見る眼

作り手の視点から映画を観る
最新のテクノロジーと、古くから在る手仕事、職人の視点と批評家の視点と作家の視点。近いようで実は相反する幾つもの事柄が、一人の人間の中に同時に存在する。いやぁ、映画監督ってつくづく面白い人種なんだなぁ。

ヴィンセント・ロブロット「映画監督 スタンリー・キューブリック

映画監督 スタンリー・キューブリック

映画監督 スタンリー・キューブリック

キューブリックの眼
淡々とした、なんの色気もない翻訳文だが、創作におけるキューブリックの視点や、彼の日常の生理がちゃんと伝わってくる内容だ。読みどころはやはり、実現しなかった「ナポレオン」を挟んだ「2001年宇宙の旅」から「シャイニング」までの制作期間が綴られた中間の数章。特に、次作のテーマを追い求めて色々な本を漁ったり、カメラやレンズの選択に妥協を許さないところに、キューブリックの性質が覗けて興味深かった。スタンリー・キューブリック、一番好きな映画監督だ。

佐々木昭一郎「創るということ」

創るということ

創るということ

「映像作家」佐々木昭一郎
この本のみ、今年(2015年)が明けてから読んだ本である。昨年末にNHK-BSで特集していたドキュメントを観て、20年ぶりに新作を作った映像作家「佐々木昭一郎」さんに興味を持った。
同時に放映された昔の作品をいくつか観たが、確かに心を大きく揺さぶるエネルギーがある。言葉にするのは難しいのだが、理解できないシーンも多いのに、作り手の意思がきちんとこちらの心の中に積み重なっていく不思議な作風なのだ。理解できないのに分かるなんて禅問答のようだが、これは作品を好きになるひとつの大きな要素だと思う。音楽や絵にも、こういう傾向のものがある。

ただ、一般ウケする作品とは言えないだろう。分かりやすいものの方が、世の中では受け入れられやすいのだ。
例えば近頃のJPOPファンは、「あなたに会えないから寂しい」といったような、極めて直接的な歌詞に共感するらしい。「理解できるから好きになる」至極まっとうに思えるこの意見だが、しかし、はじめから素直に理解できたものに、後々まで心に残る深さがあるだろうか?

音楽、小説、映画。中には、好きになってからずいぶん長い時間が経つのに、未だ惹きつけられ続けている作品も多い。それらは皆、理解を超えて感情に直接踏み込んでくる「何か」がある。つまり、わからないからこそ惹かれるのだ。
佐々木昭一郎作品はその典型である。挨拶もなしに上がり込んできたかと思えば、ニコッと笑いながら何かを言いかけ、やっぱり口をつぐんで裏口から出ていってしまった人のよう。
……あれは何だ???……でも気になる、って感じである。

佐々木さんが制作の裏側を語った本書の内容は、その作品と同じく「詩的で軽さもあるのに難解」だ(笑)この方は、やはり天才なのだ。

おわりに

次のテーマは何にしよう……。昨年読んだ本のリストを眺めながら考える。「第二次世界大戦」「キリスト教」あたりか。
どちらもまとめるのが難しそうなテーマだ。うまく書けるかな……。

ビジネス書|2014年に読んだ本

ほとんどビジネス書を読まなかった一年

20代後半から30代半ばにかけて、書店に足を運べばすぐさま「ビジネス書」のコーナに向かっていた時期がある。当時は話題の新刊を中心に、年間20-30冊ほど読んでいたと思う。

そのような過去を持つ人間がこんなこと言うのは厚かましいが、世の中にこの「ビジネス書」ほど、ボンヤリとした、信念のない定義があるだろうか?書店の「ビジネス書」コーナをのぞいてみれば、それがわかる。

会計や資産運用などの実用書があれば自己啓発書もあり、マネジメント術や個人向けのライフハック本もある。著名な経営者の自伝、経営コンサルタントや敏腕営業マンが書いたハウツー本、「論語」などいわゆる一般的な古典、さらには柔らかめの哲学書や、「トンデモ」スピリチュアル本までが並んでいる。マンガ版や絵本と呼べそうな本まである。まったく、節操が無いことこの上ない。どの棚に並べるのか迷ったら、なんとか仕事にこじつけて「ビジネス書」のくくりにしてしまえ、といった投げやりな感じさえする。

しかも、話題になったビジネス書を数年追っかけてみればわかるが、じつはたいていの新刊はおもしろくない。そのほとんどが昔からあるビジネス書の焼き直しか、著者の思い込みの書き散らかしだ。私見だが、その9割は読むに値しない内容だと思う。
「話題の」といった店頭POPの押し文句も油断ならない。タイトルのつけ方に購買意欲をそそるような戦略的巧妙さがあるだけで、中身はまったく読むに値しないベストセラーも多い。

「ビジネス書」はその定義が節操ないだけでなく、なぜか熱心に読めば読むほど手が伸びなくなるという、不思議なジャンルなのだ。

ビジネス書の古典

ただすべてがクズではない。例えば、ビジネス書の中にも「古典」と呼べるような良書がある。それらがなぜ今でも多くの人に読まれているかと言えば、やっぱりとびきりおもしろいからだ。おもしろいと言われるものは、変化する時代の荒波にも打ち勝つエネルギーがある。そのうえ役に立つ。時代が移り変わっても、作品の主題は廃れるどころか益々輝きを放ち、今もって多くの人々の指針となっている。

もちろんこれ以外にもまだまだたくさんあるが、挙げたこれらは読んだ後、大げさでなく世界が違って見える。やっぱりどんなジャンルでも、増版を重ねて読み継がれてきたものはおもしろい。

古典はおもしろい。新刊はほとんどツマラナイ。
したがって、代表的な古典をひと通り巡ってしまったら、ビジネス書コーナには行かなくなってしまった。
ただ新刊の中にもおもしろいものはあるはずだ。それは評価が定まるまで待てば良い。時間を無駄遣いして宝探ししなくても良い。先に書いたように、本物には時代の変化を飛び越えるエネルギーがあるのだ。新刊の山に埋もれたホンモノは、数年も待てば、きちんと世の中が評価してくれる。

もっぱらぼくのビジネス書との関わり方は、時代の波を乗り越えて評価が定まった本を数年後に手に取る、というスタイルに落ち着くことになった。

今年読んだビジネス書

そんなことで、今年読んだビジネス書はほとんどが数年前に出版されたものだ。
ただ今でも、新書のコーナーはざっとのぞいてみたりするので、たまには気になるタイトルがあって新刊を手に取ることもあるのだ。
「ビジネス書」は節操ないが、なんとそれを読むぼくの信念も、さらに節操がなかったのだ!

野村克也「野村ノート」

野村ノート

野村ノート

ID野球実践編:データの取り方と使い方
ビジネス書を読む意義のひとつに、一流と呼ばれる人の考え方を家に居ながらにして聴くことができる、という点が挙がる。
野村監督は、言わずと知れたID野球の提唱者。現代のビジネスにおいても、データを駆使して次の戦略を立てることは当たり前になっているが、ただ集めたデータを並べて見た目が良い資料を作って満足している例も多い。

野球界で結果を出し続けた監督だから、まず、前提となるデータの取り方が恐ろしく緻密だ。そもそもどんなデータを取ればいいのか、きちんと自分の頭を使って考える。僕だって、いつも必死で考えながら仕事に取り組んでいるつもりだったのだが、それでも、ノムさんの半分くらいしか物事を見ていなかったことに気がつく。
肝心の、取ったデータを「結果に結びつける」点においても、ノムさんならではの視点がある。
まずその前提に「人」を置く。「人としてどう生きるのか」という部分をきちんと考えていかないと、データの使い方だって誤ってしまう、と説く。
データ自身が起点となって論理的な判断を下すのではない。切羽詰まった場面では、(すこし大げさだが)人は自分の生き方に基づいて決断を下す。その決断を下支えしているのが、系統だったデータなのである。

トレードマークのボヤキも健在。古田からは年賀状も来ないそうで、イジケた監督はちょっと可愛そう……。

物事を測る単位を増やす、記録する、相手の心理を読む、常に新しいやり方を模索する等々。リーダー、指導者、部下を持つ者、必読です。

楠木建「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件」

人は物語に惹かれる
おもしろい!500頁があっという間だった。特に以前から疑問に思っていた「先進的なアイデアを持つ企業」が競合他社にまでオープンであるのはなぜなのか、その分析に目からウロコ。
確かにこの本などは、先に挙げたビジネス書の悪い点「著者の思い込み」に満ちているのだが、その思い込みを裏付ける調査と考察、そして何よりもまとめあげた熱意に心を動かされる。

最終章に“まとめ”として「骨法10カ条」があるのだが、この部分だけつまみ食いしても意味がない。本書のテーマでもある、全体を物語として楽しく読み進めないと答えには辿り着けない。よく出来ている。ガリバー創業者である羽鳥さんが社名に込めた思いを話すエピソードには鳥肌が立った。

先の「野村ノート」もそうだったが、データに基づいた分析はしていても、データ偏重主義ではない。
「情報(information)の豊かさは、注意(attention)の貧困をもたらす」……多くのデータを集めれば良いのではなく、本当に必要なデータをより多くの視点からながめることこそが大切なのだ。情報技術を用いることで、集めたデータを多角的・重層的に分析することが可能である。現代の強みはそこだ。

奥田透「世界でいちばん小さな三つ星料理店」

世界でいちばん小さな三つ星料理店

世界でいちばん小さな三つ星料理店

習慣から作られる人格
「野村ノート」でも、結果を出す要素として「人格」が挙げられていたが、その人格を造りあげるのが毎日の「習慣」だ。「銀座小十」店主、奥田透さん。読めばわかるが、この方の人格もまさに「習慣」の賜物だと思う。

料理人を志し、いくつかの名店で学び、ついに銀座に店を構えて三つ星を獲得……そういった表のサクセスストーリーよりも、むしろ徳島の「青柳」でホールを担当した3年間の描写がグッと迫ってくる。希望していたものとは違う役割を割り当てられた二十代、普通ならやる気をなくしそうなこの三年間を、腐らずやり遂げたところに、この人の価値があるのだと思う。
途中から読むスピードがぐんぐん上がって、後半は号泣だった。いつか銀座に食べに行こう。

デービッド・アトキンソン「イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る」

日本人が気づかない視点
ここまで書いてきて気がついたが、昨年読んだビジネス書はそのほとんどが、多くのデータを集めてはいてもそれにとらわれることなく、結論は人間臭い内容のものが多かった。昨年末ギリギリで読み終わった本書もそのひとつ。

例えば日本人で、他国の人間をここまで辛辣にこき下ろす事が出来る人がいるだろうか。しかもその国の多くの人が良い事だと認識している事柄で。僕らはこれを、愛ある提言だとして聞かなければいけない。特に前半は面白い。アナリスト時代から年月をかけて練り上げてきたであろう考察であり、挙げられたデータや数字も明確だ。
ただ後半は「文化財を軸に観光立国を」との提言がまずひとり歩きしている感があり、挙げられた数字も無理して持ってきているようにも見える。古典建造物を修復する(自らの)仕事を通して、日本をなんとか元気にしたい、という気概は素晴らしいと思うが、思い入れが強すぎて、やや論点がボンヤリしたか。
何年か後で、より深く踏み込んだ具体的な考察が聴きたい。

資産運用に関する本

経済分析や、株などの資産運用に関する本、運用哲学を説いた本も定期的に読む。たまに思い出して、自分の知識を反芻することが目的だ。
ただビジネス書の中でも、特にこの手の本には「トンデモ本」が多いので、注意が必要だ。
ぼくはパラパラとめくってみて「具体的な数字が挙がっている」「調子の良すぎることは書いていない」「悪意ある悲観論で読者を不安にさせていない」「しかし今後の経済については、やや悲観寄りの見通しである」等々、いくつかの自分なりのチェックポイントと比較して選んでいる。特に「儲ける人は知っている『◯◯投資術』」てな感じの派手なタイトルの経済本が参考になった試しはないです(←過去にはしっかり読んでたってことですが……)
もしくは著者で選ぶ。山崎元さん、橘玲さん、竹川美奈子さんの本はどれもおすすめ。

昨年読んだ以下の数冊は、若干トンデモ臭がするものもあるが、それでも、つまめる点は抜き出してつまむ。
この貪欲さも、投資には必要な要素だ(……と、日々、自分に言い聞かせています……)

臆病者のための株入門 (文春新書)

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なぜか日本人が知らなかった新しい株の本

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千年投資の公理 (ウィザードブックシリーズ)

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バビロンの大富豪 「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか

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地上最強の商人

地上最強の商人

では次は、昨年のめりこんだ「映像・映画」編でも書きます。

ノンフィクション・ルポ|2014年に読んだ本

今回の記事は、以前書いていたブログ「鶴の手帖」2014年12月のエントリーを転載したものです。

ノンフィクションは、裏側を知るとさらに面白い

ノンフィクションと言えば、野村進さんの「調べる技術・書く技術」という本が素晴らしかったので、ちょうど一年ほど前にまとまった感想を書いた(近いうちにこのブログに転載します)


調べる技術・書く技術|野村進 - (旧)鶴の手帖

創作の裏側がのぞけたことで、昔から好きだった「ノンフィクション」というジャンルにさらに興味を持つ。しかし同時に、読んでいない有名な本が数多くあることを知ったので、「調べる技術・書く技術」の中にあったオススメ作品を参考に、今年はそのいくつかを手に取った。


ノンフィクション=事実の記録。しかし小学生の作文のように、ただ起こった出来事を経験した順に並べてみても、ドラマとして面白くはならないだろう。時間を入れ替えたり、巧みな比喩で現場の感触を伝えたり、あえて遠いところにある題材と比較してみたりと、その書き手「だからこそ」書ける部分、自分だけの要素をどのくらい盛り込めるかが肝心だ。

野村さんの「調べる技術・書く技術」を読んでみると、実際のノンフィクション作家が、ごくごく小さな事柄にまで注意を払いつつ文章を綴っているのかがよく分かる。
入念な準備を経て、読み手がつい引き込まれるような導入部が書けたとき、現実と創作が密接に入り組んだ「ノンフィクション」が、はじめて独自の作品として動き出すのだ。


思い返せば、若いころ夢中になって読んだ「スローカーブを、もう一球」にも、江夏の心の声が文章の中枢にあったような気がする。「ずいぶんきちんと記録されてるなぁ。しかし、江夏って意外と色んなこと考えてるんだなぁ」なんて思っていたが、あれは事実の羅列なのではなく、山際さんの作品だったのだ。当時のぼくは、それに気づかないまま夢中になっていたわけだ。

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))

スローカーブを、もう一球」……20年ほど前に読んだきりなので、ちょっと違っていたかも知れない。近いうちに読んでみよう。


では、今年読んだ作品から、印象に残ったものをいくつか。

ノンフィクション・ルポルタージュ

辺見庸「もの食う人々」

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

土地+食=人
ある土地の文化や記憶と直接結びつく「食べる」という行為は、まさにその人そのものを表している。旅をし、土地の人間と同じものを食べることで、筆者は彼らの内側に入っていく。「恵まれた土地:日本」しか知らないぼくは、世界に生きる人々に、ただただ驚いた。
辺見さんの文章はリズムが心地よいので、すらすらと読み進められるのだが、読みやすい理由は文章が巧いだけではない。意見に無理がなく、押し付けがましくないのだ。「こうあるべき」といった強い提言は見当たらず、あくまで個人としての感情が書かれる。
中には残酷な現実を綴っている部分もあるのだ。しかしどのエピソードにしても、読んでいてなぜか根底に希望とかユーモアがあり、辺見さんの気持ちを身近に感じてしまう。根が優しい人なのだろう。

有名な本だというが、ぼくは初めて読んだ。もっと早く読んでおけばよかったと思った。辺見さんの感じ方に間違いなく影響された。

沢木耕太郎「人の砂漠」

人の砂漠 (新潮文庫)

人の砂漠 (新潮文庫)

砂漠に立ち尽くす人と、側でじっと見ている人
のほほんと毎日を過ごすぼくには、ガツンとくる話しばかりだ。登場人物は皆、過酷な現実に向き合って(またはそこから逃げようともがいて)いて、救いがなく、未来も閉ざされているように思えて、思わず目を背けたくなる。
しかし読み終わると、僕の身体は充実感に満たされていた。ありきたりだが「感動した」という表現がぴったりだと思う。描かれる彼(彼女)らは、それぞれの真実を追い求めてる。たとえその真実が、世間の眼にはいびつに歪んで常識外れなものに見えたとしても。本人はただ自分が思い描く真実を追い求めているだけなんだ。人間の本質がむき出しになったような、その一生懸命さが胸を打つ。

生々しい文体でこれを書き上げた20代の沢木さんにも「感動した」

沢木耕太郎深夜特急〈1〉香港・マカオ編」

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

世界に出る
うわっ!ぼくは単純だから、これを25歳くらいのときに読んでいたら、リュックサック背負って後先を考えずに飛び出してただろうな。読みはじめから興奮するが、後半のマカオでの出来事が最高!カジノで「大小」というギャンブルに、ずぶずぶとのめり込む。しかし流石、頭の片方では冷静に客とディーラーを観察して「にわか必勝法」を得る。話の進め方がとにかく巧すぎて、読み終わってもしばらくは、早くなった鼓動が収まらなかった。

鎌田慧自動車絶望工場

新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)

新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)

現場に飛び込んで書く
実際にその現場に飛び込み、書かれたルポルタージュ。約40年ほど前、トヨタ自動車期間工としての工場労働の記録。実際の仕事のキツさと合わせて、現場での人としての扱いが苛酷なことにスポットが当てられている。
うーん、(トヨタではないが)ぼくも企業城下町に住んでいるだけに、なんとなく言いたいことは分かるなぁ。現在の現場環境はずいぶんとマシになっていると思うが、単純作業における苛酷さの本質は変わっていないとも言える。キツい現場に従事する労働者が、出稼ぎ人から外国人に変わっただけであって。
ただ作品としては、主に労働者の立場からしか事実が書かれていないところが気になった。例えば経営者側の視点、なぜ労働者にその苛酷な扱いを強いるのか、そもそも苛酷だと思っているのか、などが掘り下げられていたら、告発もより豊かな意見になったと思う。視点がひとつだと、ただの愚痴に見えてしまう。

リエット・アン・ジェイコブズ「ある奴隷少女に起こった出来事」

ある奴隷少女に起こった出来事

ある奴隷少女に起こった出来事

奴隷制度の生々しい記録
深く心に刻まれた。多くの人に読んで欲しい。主人公が辿った運命があまりに衝撃的であるため、文章の存在は知られていたものの、本書はずっとフィクションだと考えられていたという。長い間忘れられていたが、近年になって作者が実在した本物の奴隷だったことがわかり、ひろく読まれるようになったそうだ。
作者はとても頭が良い人だったのだろう。現代のようなレベルでの教育は受けられなかったはずだが、とても美しい文章だ。文章が美しいだけに、彼女が受けた残酷な扱いが、より生々しく伝わってくる。
……うーむ、奴隷所有者の気持ちがまったく分からなくて考えこんでしまう。彼らにとって、キリスト教の教えは何の意味も持たなかったのだろうか?奴隷を人間と見なしておらず、自らの行動を省みる対象としていなかったからか?その言動には、罪を背負っている自覚がまったく無いように見える。

また、この本は訳がいいと思う。あとがきにあったが、現代日本の置かれた状況を本書の内容と重ね合わせた視点が良い。本文にもそのテイストがほのかに感じられる。

ハウス加賀谷統合失調症がやってきた」

統合失調症がやってきた

統合失調症がやってきた

芸人、ハウス加賀谷
なにかで紹介されているのを見て、前から読みたいと思っていた、統合失調症になった芸人ハウス加賀谷さんの闘病記。ハウス加賀谷さん、真面目な人なんだなぁ。「もっと力ぬけよ……」って、つい声をかけたくなる。読ませる内容で一気に読んだが、最後に相方の松本キックさんの優しさにホロっとした。加賀谷さんが主役の本だが、まとめた松本さんの文章力、構成力はなかなかのものではないか。
そう言えばこの前テレビでちらっと加賀谷さんを見たなぁ。回復されたんだろうか……。

最後に

ノンフィクション。なにより作品の量が多いし、名作も数多いジャンルだ。これからも読むものに困ることはないだろう。カポーティ冷血 (新潮文庫)にも挑戦してみたい。